業務核都市構想とは 2
地価高騰の現象と、まとまった大規模な土地がいろいろな社会情勢の変化によって、業務核都市に生れるという状況が同時に発生したと理解したほうが、正しい見方でしょう。
それがMM21と大宮と立川の話です。
このように新しい都市計画を大規模な空地に展開しなければならない社会的環境が成熟してきて、国も地方自治体も具体的な事業をそこにおこさなければならなくなってきました。
それでようやく業務核都市構想が動き出したのです。
・・・一方、千葉は大宮や横浜そして東京と事情が異なり、面白い面をもっています。
千葉県は戦後に埋め立てを猛烈に進めた県です。
千葉県の湾岸は浦安から木更津まで、昔は海水浴や潮干がりができる遠浅な地形でした。
したがって埋め立ては大変容易で、埋立費用も安かったのです。
企業側からみて、日本の経済が急速に発展してきた昭和30年代の半ば頃から、東京都は製品の最大の消費地になってきました。
そこに近いところで油をつくったり、鉄をつくったり、あるいは化学製品をつくれば、輸送コストが安いし、質のいい労働力を確保するのも容易でした。
しかし、京浜の臨海工業地帯には戦前からすでに、財閥が工場を立地させていました。
あいている埋立可能地は千葉にあったのです。