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   <title>引っ込めブログ</title>
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   <subtitle>ぷよぷよになったお腹と体のしくみについてのブログ</subtitle>
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   <title>からだの自然なはたらき　4</title>
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   <published>2012-02-06T02:47:51Z</published>
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      毛布のなかにはいろんな骨がはいっていて、それをさわっただけで、種類や特徴をいいあてなければならなかったのです。


・・・そのおかげで、わたしたちはオステオパシー医がからだの「ブロック」「ゆがみ」と呼んでいる状態を手の感覚によって識別する能力をやしなっていきました。


わたしたちのカリキュラムはその種の訓練が大きな比率をしめていました。


わたしが学生だったころ、西洋医になるには3800時間の訓練でよかったのですが、オステオパシー医は4200時間の訓練を受ける必要がありました。


その差400時間がすべて手技の授業にあてられたのです。


クラスではたがいに同級生のからだにさわって実習をしました。


わたしはきわめて健康でしたが、入学してすぐにオステオパシーのような強力な手技は遊び半分にほどこしてはならないということを思い知らされました。



      
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   <title>からだの自然なはたらき　3</title>
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   <published>2012-01-06T02:47:14Z</published>
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      どこからそんな結論をみちびきだしたのかはさっぱりわからなかったのですが、医学校に入学できそうもないことだけはわかりました。


・・・しかし、医学への未練は消えなかったのです。


あるとき、カンザスシティ・オステオパシー大学の学生だった友人から、スティル博士の思想と手技の効果について話を聞く機会がありました。


わたしは即座に決心し、荷物をまとめて、カンザスシティにおもむきました。


新学期の授業がはじまって2週間後のことでした。


大学の担当者はわたしの履歴書をざっと見て、あっさりとこういきました。


「有機化学はやらなくていいよ」


当時のカンザスシティ大学はマニピュレーションのわざの錬磨を重要視し、手指の感覚をするどくすることに教育の力点を置いていました。


わたしたち学生は教授から、何枚もの毛布でくるんだ人間の骨をわたされました。



      
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   <title>からだの自然なはたらき　2</title>
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   <published>2011-12-06T02:46:29Z</published>
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      手技はまた、からだの呼吸運動を活発にし、より多くの酸素が血液に流れこむのを助けます。


そのことがまた、消化吸収や、全身へのエネルギ:配分の効率改善を助けるのです。


・・・かくして、手技は消化・呼吸.循環・脳機能のバランスを回復することに役立つのです。


ところで、わたしがオステオパシー医になった理由ですが、もしかしたらアロパシー医たちに自分を入学させなかったのは間違いだったと気づかせてやろうという、不純な動機があったかもしれません。


生まれ育ったオハイオから川一本へだてたところにある大学の教授会は、わたしが教養課程のとき、有機化学を履修したら医学校にすすませてやると約束してくれました。


そこで有機化学をおさめました。


・・・ところが、最後の講義のとき、教授から医学校の学生部長に会えといわれました。


部長室に行き、しばらく雑談をしました。


部長はやたらに大声で笑っていましたが、やがてわたしに、きみは歯医者になったほうがいいといいはじめました。



      
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   <title>からだの自然なはたらき</title>
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   <published>2011-11-06T02:45:27Z</published>
   <updated>2011-11-06T20:44:24Z</updated>
   
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      オステオパシー医もアロパシー医も薬剤・外科手術・X線といった、同じ治療法を使ってはいますが・・・


オステオパシー医はそのほかに、スティル博士が「マニピュレーション」と呼んだ手技をほどこします。


手技をほどこすのは「骨組み」・・・


いまふうにいえば「筋骨格系」であり、これには骨・筋肉・腱・関節・組織がふくまれます。


このシステムはからだ全体の支持構造をかたちづくっています。


家をつくるときは、羽目板をはめる前に垂木がしっかりとしていなければなりません。


同じように、よくととのえられ、しっかりした骨組みがなければ、健康は享受できません。


骨組みに欠陥があれば、からだ全体の自然なはたらきに影響します。


では、からだはオステオパシーの手技にどう反応するのか？


手技はまず脳脊髄液(脳と脊髄はこの液体に浮かび、浸されている)の循環をうながします。



      
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   <title>変わるアメリカ社会　3</title>
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   <published>2011-10-31T01:22:57Z</published>
   <updated>2011-10-31T19:50:09Z</updated>
   
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      たとえばラジオの番組と比較してみると、ドラマ、音楽、バラエティー、コメディー、ゲーム、視聴者参加、ニュース、ニュース解説、討論・座談会、スポーツ実況放送など、ほとんどの種類が共通でした。


ラジオにないのは映画だけでした。


したがって、新しいテレビ産業がラジオの三大ネットワーク・・・


NBC、CBS、ABCによって継承され、支配されるようになったのは必然的であったといえるでしょう。


その初期には制作者たちはラジオのフォーマット、番組、スターを利用したのです。


しかし、テレビの番組制作は、ラジオの仕事よりずっと複雑で大かかりとなりました。


最初は生放送だけであったから、ディレクターはカメラのショットやアングルに気を使わねばならなかったうえに、舞台監督と同じように役者の演技をつけねばならなりませんでした。


しかも、映画のように撮り直しやフィルムの編集はできませんでした。

      
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   <title>変わるアメリカ社会　2</title>
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   <published>2011-09-11T01:22:20Z</published>
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      第三に、大都市への人口集中が顕著であったために、テレビ信号の受信範囲がラジオより狭く・・・


しかも辺鄙な地域の小さな町には経済的・法律的に放送局の建設が困難であったにもかかわらず、より多くの人びとがテレビを視聴することができました。


第四に、第二次大戦後、社会的に生活水準が均等化していたので、テレビが提供する番組がもたらす趣味とか関心の標準化に、社会が容易に順応していったことです。


テレビの急速な拡大とともに見逃してはならないのは、マスメディアとしてのテレビの目立ってユニークなメカニズムでしょう。


テレビはその機能としてラジオ、映画、舞台のすべての要素を含むものです。


また目で見るラジオ、活字なしの新聞、ひとりで楽しめる映画ともいわれます。


つまリテレビ出現以前のマスメディアを継続していると同時に、これらを統合してもいるわけです。


      
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   <title>変わるアメリカ社会</title>
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   <published>2011-08-31T01:21:38Z</published>
   <updated>2011-09-06T21:29:22Z</updated>
   
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      これまで人間社会で人と人とを結びつけていた関係も、テレビのような革新的なマスメディアの発達によって、大幅な変動を免れません。


かつて故郷で自然とまじわり、村の生活のなかに満足していた人びとも、その子供たちも、「非人格的な営利機関」テレビ放送局によって提供される娯楽番組にかじりつき・・・


伝統の温かい人情の世界を忘れてかえりみなくなったのです。


テレビの社会的影響がこのように著しかった半面では、逆にテレビの普及をこのように促進させたのは、アメリカ社会の大きな変化そのものにあったということもできるでしょう。


第一に、戦後に「ゆたかな社会」が中産階級を中心として出現し、余暇が生まれ、生活の快適さを求める需要が創出されたことです。


第二は、アメリカの高度の経済成長は新しい効果絶大なメディアムへの広告投資を刺激し、ラジオとは比較にならぬ制作費用の増大にもかかわらず、テレビ事業の急速な拡大を促進したことでしょう。


      
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   <title>テレビ・ブームの時代</title>
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   <published>2011-07-31T01:20:04Z</published>
   <updated>2011-07-31T19:50:07Z</updated>
   
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      CBSは娯楽番組に力を注ぎ、視聴率競争では1975年まで20年間もNBCを抜いて首位をつづけました。


とりわけCBSのもとに、1951年から引退するまで、23年間も最高の視聴率を保ちつづけた人気女優ルシール・ボールの『アイ・ラブ・ルーシー』は、日本でもおなじみでしょう。


ところで、このようなダイナミックなテレビの発展が起こす社会現象は、歴史的にどのように意味づけたらよいのでしょうか。


社会学者のレオ・ボガートは、「歴史の流れのなかで、偉大な発明は常に結果であり、また原因でもある」としつつ、テレビについて次のように述べています。


「・・・今日アメリカにあるようなテレビ放送は、単に光と音の神秘性とエレクトロニクスを駆使する科学の産物だけにとどまるものではありません。


同時にそれは大量の規模で商品を生産し、分配することのできる経済や、口から口へのコミュニケーションではことが処理できないようなほどに入りくんだ社会の、創造物でもある・・・。」


      
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   <title>金の卵に変身した土地　4</title>
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   <published>2011-06-24T00:40:16Z</published>
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      13号地はもともとコンテナ用としてではなく、一般貨物のためにつくった埠頭です。


ところがそこを全部船着き場にしなくてもよくなりました。


そこで13号地のかなりの部分を港湾用地ではない用途に転用することを考えなければならなくなりました。


他方、東京都としても、あまりに都心部ヘオフィスが集中するために、23区内の他のいくつかの場所にオフィス街をつくってゆく計画を練り始めました。


東京都民だけではなく、神奈川&quot;都民&quot;、埼玉&quot;都民&quot;、千葉&quot;都民&quot;が遠距離通勤で困っています。


都心部周辺では自動車の混雑も大変です。


このような混雑状況について、東京都も知りませんではすまなくなりました。


鈴木都知事の時代になってから本格的にその対策を考え始めたのです。


全都民の関心事であった東京都庁の新宿への移転も、結果としては都心部のオフィス機能を引き抜いて新宿副都心を強化する方針に沿う、地方自治体自らの事業となりました。


      
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   <title>金の卵に変身した土地　3</title>
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   <published>2011-05-04T00:39:16Z</published>
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      幕張もしっかりとした街づくりをしなければならなくなりました。


神奈川県と横浜市が結びついた地域のイメージと、千葉県のイメージの競争では、どうしても千葉が見劣りします。


幕張のイメージを急速に高める必要がありました。


また、幕張の都市づくりの事業化を横浜より先行するか、少なくとも肩を並べて押しすすめ、民間企業を早く引きよせることを考えなければならなくなりました。


横浜と千葉の幕張は国土庁が定めた業務核都市という位置付けがあり、その埋立地の開発に国のお墨つきがありました。


それに対して東京の13号地埋立地の開発はどういう位置付けであったのでしょうか。


13号地を、オフィスを中心とした新しい市街地にしようという計画は、東京都がつくった地方自治体の計画であって、国がつくった計画に位置付けられたものではありません。


国が業務核都市のように事業所分散の候補地として認知したところではありませんでした。


13号地は東京都がもともと港湾の用途にあてるためにつくった埋立地です。


ところがそこを港湾の用途以外に使わなければならない状況が生じたのです。


港湾貨物取扱量の伸びが頭打ちになってきたからです。


増加するコンテナの取り扱いは、大井や品川の岸壁をコンテナ埠頭として整備することで十分に間に合います。

      
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   <title>金の卵に変身した土地　2</title>
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   <published>2011-04-24T00:38:33Z</published>
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      ところが、今は不良資産どころか、この土地は住都公団の金の卵になりました。


集合住宅団地をつくったところ、今では申し込みが何百倍にもなるといいます。


しかしそれは今の話です。


昭和50年頃はあまり役に立たないと考えられていた土地がそれから10年たつと、その状況がガラッと変わったわけです。


不思議なことに、今まで不良資産だと思っていた土地が全部有用資産化して、いい住宅団地ができ始め、皆が殺到するようになりました。


不動産を購入して、そこに住宅なりオフィスを建てるとき、その不動産の価値は本当の需要以外の社会的動向によって支配されます。


つまり金融が緩んでいるとか、地価は常に上昇するという土地神話等の風評によって地価は上昇するという、株式市場の株価と似た性格を、浦安の埋立地は示したわけです。


このような不動産処分をしながら、企業庁が虎の子として大事に暖めていたところがあります。


どんなに苦しくてもそこだけは残しておいた不動産です。


それが幕張です。


ここをいつ開発するかということは、千葉県にとっての最高の政治的判断でした。


昭和50年代後半になってくると、横浜でMM21の計画が具体的に事業化の段階に入ってきました。


この動向は千葉県にとって一大関心事になりました。


つまり東京の都心機能を周辺県が受け止める都市づくりに、千葉県が遅れをとる危険性が生れてきたからです。


      
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   <title>金の卵に変身した土地</title>
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   <published>2011-03-04T01:37:26Z</published>
   <updated>2011-03-08T20:50:12Z</updated>
   
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      当時・・・


つまり昭和50年頃は、そのような土地を喜んで買う民間企業はありませんでした。


千葉県企業庁は日本住宅公団に埋立地を買わないかと相談しました。


日本住宅公団も当時は不良資産とみなされていた土地をたくさんもっていましたから、自分のところでも困っているのに、相手の面倒は見られないということでなかなか買いません。


千葉県企業庁は、埋立地をそのまま処分するのではなく、それらに千葉県庁としてある程度認知した都市計画を立てておくことで、その土地に付加価値をつけて売ることを考えたのです。


・・・つまり企業庁のもっている土地を高く売るために、ここは県庁も後ろ盾になって素晴らしい住宅団地をつくろうとしているのだと宣伝をします。


そして、日本住宅都市整備公団(通称住都公団)に引き取ってもらった例があります。


その場所が浦安市の京葉線の駅の南側の、浦安ニ期と呼ばれる埋立地です。


それを住都公団は安い値段で引き取ったわけですね。


この埋立地は将来不良資産化する土地であると住都公団にみなされていたといっていいでしょう。


      
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   <title>千葉の土地　4</title>
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   <published>2011-02-24T01:35:51Z</published>
   <updated>2011-02-25T03:23:00Z</updated>
   
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      その間のニュータウンですから、新幹線が走れば、東京まで1時間くらいで通勤できる住宅地になると考えたのです。


・・・ところが国鉄も新幹線はつくらないし、京成電車との兼ね合いもあって、運輸省もその鉄道建設のあと押しをしませんでした。


鉄道がつくれなければニュータウンは成立しません。


住宅公団も始めの頃には土地を買うことを渋っていました。


団地をつくってもお客さんが入りません。


それでそこの投資がまったく回収できなくて、苦境に陥ったのです。


企業庁はいってみれば自治体の不動産会社のような組織です。


資金は自前でやりくりしなければなりません。


金融機関から借りた資金の元利返済のためには、どこかを売らなければなりません。


そのためにいくつかの土地を安い値段で売りに出したのです。



      
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   <title>千葉の土地　3</title>
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   <published>2011-02-04T01:33:12Z</published>
   <updated>2011-02-25T03:23:00Z</updated>
   
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      田圃の中に簡単な埋め立てをして、現在もあちらこちらでみられるような小さな建売住宅用地を次から次とつくっていきました。


値段が安いので売れていました。


ところが50年以降はまったく買い手がなくなって、売れなくなりました。


それでこの建設会社は資金繰りが悪くなって、それが原因になって破産したのです。


大手の建設会社や不動産会社も昭和40年代の列島改造論ブームにのって手当り次第に土地を買っていましたが、列島改造論ブームの後始末やオイルショック後の地価の停滞のために大変な苦労をしました。


50年代初期は土地を買う人がいなくなっていたのです。


千葉県企業庁もその動向に巻きこまれてしまいました。


千葉県企業庁が苦しんだ大きな原因の一つに千葉ニュータウンがあります。


昭和45年頃、列島改造論ブームの前から印旛沼の近くに、多摩ニュータウンのむこうをはって人口が30万人以上という千葉ニュータウンを計画し、その用地取得を始めていました。


そして千葉ニュータウンを貫通して、成田空港から東京まで新幹線を走らせようとしたのです。


そうすると東京から成田空港まで30分くらいで行けるのです。


      
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   <title>千葉の土地　2</title>
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   <published>2011-01-24T01:31:14Z</published>
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      地方自治体の埋立事業は企業の経営と似ています。


資金を金融機関から借りて埋め立てをし、その造成地を売却して資金を回収し、回収したお金で次の埋め立てをする方式をとります。


つまりお客さんがこないとうまく資金が回転しないのです。


そして昭和50年前後にオイルショックが発生しました。


オイルショックの後に土地の値段が全国的に下がったのです。


・・・ということは土地の需要がなくなったわけです。


今から考えると不思議に思えますが、東京にどんどん人口は集中しているのにもかかわらず、千葉では埋立地が売れなくなりました。


内陸部のニュータウンの住宅地も売れなくなりました。


当時、今から考えれば誰もが飛びつくような住宅団地、つまり都心から電車に乗って40分くらいの郊外で住宅地をつくっていたいくつもの建設会社が、不況に追い込まれるという状況も出てきました。


その一つの例で有名なのは、ある長期信用銀行系列の建設会社でした。


その建設会社は当時あまりいい住宅をつくっていなくて、庶民型住宅をつくっていました。


      
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